◆架空地図と聞いて思い浮かべるものは人によりかなり異なる。もちろん想像もつかぬ人もいると思う。
◆日本人の愛好者としては、土地だけが架空で舞台は現代日本、というものが一番多かろうと思う(架空世界の設定用など、地図が主要素でないものは除く)。それは経験上仕方のないことである。また海外でこの趣味がどれくらいあるかはわからないが、地図をここまでさまざまに扱っている国は少ないと思う。
(私自信は、架空地図上にバスや鉄道を敷きたいというのが最初の動機であったように思うが、小学3年の頃の話なので忘却。)
◆国・言語・時代・惑星(自然や天候・季節)・文明・物理法則など、架空にできる要素はたくさんある。それらは必ずしも地図だけから判別できるとは限らない。
◆人によっては、ある部分からは架空地図とは認めない(架空世界としての比重が遥かに大きい、または単に興味がない)、ということもあるかと思う。それもまた、しかたのないことで、興味のないフォーマットの地図はいくら見ても楽しくないのである。
◆私は、空想をもとに描かれた地図を広く架空地図と認めたい。それがどこを目指したものであるとしても。この項以下の話もその立場で書く。
◆同時に、作る側としては作品の「何が」架空なのかを自分の中に常に持つこと、見せる作品の場合には架空部分の「何を」読み取らせる(想像させる)かを意識することが重要だと思う。とは言え、意識外のことを想像される場合もあるので、なかなかコントロールが難しい。読み取る側の「地図経験」もいろいろだ。
◆何が架空なのかは、架空地図創作における大きなテーマであり、「ありがちな架空地図」を作るのが好きであったとしても再考する価値のある事柄ではないだろうか(図内の歴史の流れを考察する上で、多かれ少なかれ突き当たるとは思うが)。また、架空の中身によっては見る人を選ぶ、ということは覚悟しなければならないだろう。
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